『麒麟がくる』で本日滅亡した朝倉氏の一乗谷朝倉遺跡に思いを馳せる

こんにちは、だいひょうです。

『麒麟が来る』もいよいよ大詰めで今日で朝倉氏が滅亡したみたいですね。(まだ見れてないですが…)

という事で以前に訪問した一乗谷朝倉遺跡に思いを馳せたいと思います。

一乗谷朝倉遺跡

 朝倉氏は現在の兵庫県養父(やぶ)市出身の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波氏、甲斐(かい)氏を追放して越前国(えちぜんのくに)を平定しました。以後孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれました。しかし天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。

特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡 特設サイトHPより

訪れたのは2014年です。

一乗谷城

一乗谷と言えばこの唐門ですが、朝倉時代には無く豊臣秀吉が寄進したそうです。

一乗谷城

当時は多くの人がこの橋を往来したのでしょうか?

一乗谷城
一乗谷城

広大な敷地でした。当時はさぞ立派な屋敷だっただろうと想像できます。

一乗谷城
一乗谷城

大規模な堀切?防御力も高そうな城ですね。

一乗谷城
一乗谷城

訪れたのは雨の日だったのでどこか物寂しげでした。

一乗谷城

一乗谷城

堀もあり立派なお屋敷だったのでしょうね。

一乗谷城

堀には鯉が優雅に泳いでいました。

一乗谷城

水の中に当時の様子が浮かぶようでした。

100年以上栄華を誇っていた朝倉氏、滅亡の瞬間はどういう思いだったのでしょうか。時代が動くときはほんの一瞬で情勢がかわるので当事者からはその変化は気づけないんでしょうね。

一乗谷には町屋郡を復元した施設があります。

職人たちの暮らしぶりが分かる施設や武家屋敷の群の復元されています。

一乗谷城
一乗谷城
一乗谷城
一乗谷城

暖簾がカラフルで当時のおしゃれだったんですかね。

一乗谷城
一乗谷城
一乗谷城
一乗谷城

ここで井戸端会議をしてたのでしょうか?

一乗谷城

この施設も一見の価値ありです。

一乗谷朝倉遺跡だけでなく城下町とその周辺の山城も含め一乗谷城と呼んでいたようですが、一乗谷城は日本100名城に数えられています。

日本100名城とは?

「日本100名城®」の選定は日本城郭協会が財団法人となって40周年を記念する事業として、文部科学省・文化庁の後援を得て企画され、以下の100城が平成18年2月に発表されました。日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭、城跡を、多くの人に知ってもらい、関心を高め、ひいては地域文化の振興につながることを念じて設定されました。また翌平成19年にはスタンプラリーを設定したことにより、多くの人が全国の城郭に直接足を運ぶきっかけともなりました。

公益財団法人日本城郭協会の公式ホームページより

この時に100名城スタンプもゲットしました。

スタンプは「復元町並」入口(南・北)にあります。

現在34個ゲットしています。残り66個目指して頑張ります。

先は長いですね…

それでは。

特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡 特設サイトはこちら→特別史跡 一乗谷朝倉氏遺跡 特設サイト

公益財団法人日本城郭協会HPはこちら→公益財団法人日本城郭協会HP

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